ヨコハマハイスクールホットウェーブフェスティバルは第19回をもって惜しくも開催が終了となりました。 第1回から担当をしていた私(後半はペッププランニングでサポートしましたが)もよく続いたなと思う反面 、残念な気持ちでいっぱいです。

  このHPでは過去19回のホットウェーブの足跡を残しながら、スタッフやバンドそしてお客様として参加してくれたみんなのホットな思い出として残ってくれればと作りました。 いつの日か、メモリアルコンサートが出来ればいいなと思いながらも過去の資料をたぐると以外に散逸していて完璧なデータには至りませんでした。 間違っていた表記がありましたら、正しいデータをメールでいただければ幸いです。

嶋本照彦(株式会社ペップ・プランニング代表)


■「ヨコハマハイスクールホットウェーブフェスティバル」の思い出

ヨコハマハイスクールホットウェーブフェスティバルVOL.1が開催されたのは今から20年前にさかのぼり、紅葉坂にある横浜市教育会館であった。

当時、県民ホールや市民ホール(現在の関内ホール)、横浜野音(スタジアムの奥にあって土・日だけコンサートが出来た)などがあったがロックに会場を 貸してくれるのは唯一教育会館だけであった。
今ならライブハウスでやるものだろうがその頃はクラブ24も7THアベニューもなく関内の中央ビルに貸スタジオとPAレンタル業のスタジオ3と杉山清貴が ウェイターをやっていた横浜放送局というライブハウスに唯一高校生が集まっていたものである。

高校生では、単独でホールを借りてのコンサートなど資金がなければ出来ないと言うわけでホットウエーブをやってみたのがきっかけである。
スタッフはあちこちの文化祭実行委員やフォークソングクラブ、軽音といったごくごく普通の高校生たちであった。

第1回から会場は全面禁煙で、取材に来た記者の方もタバコはNG。本当につらそうな取材だったが夢は横浜スタジアム(本当にサンスポの記事になって一言も相談していない横浜スタジアムの人に怒られた)を合い言葉にがんばって いた。

お客さんが満杯になったのに味を占めてVOL2を翌年の春に、つまり高校の春夏センバツになぞらえて実施をしたのである。 しかしこれは高校生にとって夏休みをホットウェーブに費やしたと思ったら 冬休みもつぶれて、とってもかわいそうでこれ以後年1回の開催となって いった。

VOL.3は決戦大会を県民大ホールに決めて、集客が5倍になるのでゲストを複数入れて、来てくれた人にビッグなプレゼントにしようと交渉した。 その中にサザンの桑田くんと原夫妻がいた。実行委員長が直接アミューズに出向いて交渉。ゲスト名が出ないことを条件にOKが出た。

ゲストの演奏は前年の優勝バンドが担当することになり、確かビリージョエルの曲を2曲演奏したと思う。このときゲストには内緒で勝手にシンドバッドもリハーサルしておき、桑田君にはいきなり勝手に演奏してしまった。彼も真剣に歌ってくれ会場もノリノリであった。(アミューズの皆さんごめんなさい)
ホットウエーブがゲスト名をコンサート当日まで出さないで動員することはこのときから始まった。アマチュアをしっかり聞いて欲しいと言う意味もある。

そしてVOL.5で県民ホールも入りきれなくなり外周に幾重にも列が出来て会場側から怒られてしまった。運良く翌年は国際青年年、横浜市の後押しもあってVOL.6をあこがれの横浜スタジアムで実施と言うことになった。
県民の最初もしんどかったが、25000人という途方もない動員は果たして出来るのかというリスクがみんなにのしかかっていった。とにかく満員にするという目的でポスターを貼りまくり、スタッフ全員が招待券を抱えて配りまくり、 出場者の高校を挨拶に回って応援団の結成に理解を頂いた。

結果は「台風」というおまけが付いてきた。当日は時折豪雨となってみんな屋内に逃げ込んで雨が小降りになるとまた出ていって応援する繰り返しであった。 午後には直撃という情報も入って、本部はてんてこ舞いであったがなんとか 表彰式までやれたのは奇跡に近い。このときのグランプリが「いんぐりもんぐり」である。

ホットウェーブフェスティバルはこれ以後、予選会場を西公会堂から関内大ホールにおき毎年5月に実施、決戦大会会場は横浜スタジアムとしてVOL19まで 続くのである。

毎年8月になると横浜スタジアムのアリーナに立ちこめるゴムマットのにおいを思い出す。 早朝入場待ちの列が横浜公園を取り巻き、9時の発券をひたすら待つ。
昼頃にまた入場の列ができはじめる頃、非公開のゲストリハが始まる。

ホットウエーブフリークはこのときを逃さない。
じっと聞き耳を立ててゲスト名を推察するのである。
今日は筋少だ、リンドバーグだ、黒夢だ・・・と。